記事のアーカイブ
普通そうだよね、という病
2015年07月18日 23:13
子供の頃から、良くも悪くも「個性的」「変わっている」「普通と違う」と言われ続けたわたしにとって、「普通」というのは、憧れであり、よくわからないものでもあります。
オフィスで働くとき、組織化された場所にいるとき、自分なりに「普通は~だよね」の普通に、常識的にふるまおうと努力をします。無理なら常識的な言い訳を考えます。さらに、それでも難しいならば「変わり者なので」と先に言ってしまいます。
変わり者である、ことを先に言ってしまうのは、「常識人ではなくてすみません」という謝罪をするべきだろう、「普通は」と思ってのこと。
つまり変わり者宣言ですら、「普通そうだよね」という、わたし自身の病ゆえのことです。
聖なる杯
2015年07月11日 15:18
キリストは、最後の晩餐を終えて、ゲッセマネの園と呼ばれるオリーブの木の山へ行きます。そこで、脂汗をしたたらせながら、神に祈ります。
「この苦しみの杯をとりさってください」
迫り来る、肉体的な苦痛と恐怖を、彼は知っていたのでしょう。
避けられないこともわかっていて、祈らざるを得なかったのでしょうね。聖書のこの箇所は、読んでいて胸が苦しくなる場面です。
「杯」は、自分が受け取り、飲み干すべき運命のシンボル。
スピリチュアルな学びは、自分の「杯」をみつけ、そこに注がれる運命を知ることだと、思っていました。
今は、「杯」は、自分の外側にあるのではなく、自分自身が自分の「杯」なのだと思います。自分それ自
幸福感
2015年06月28日 16:02
わたしにとって、スピリチュアルの学びと追求は、「どうしたら幸福になれるか」というテーマに向かっています。
基本的に、スピリットが肉体を持って転生してきたのは、経験・体感を超えて、幸福になるため、なはずだと信じています。すべての人に内在しているだろう、この信頼。
ですがわたしは、
地球は宇宙最悪の流刑地、ほとんど暴力・理不尽・差別で埋め尽くされた地獄空間だと思って生きてきた時代もあります。
2014年は、自分にとって激動の年。特に夏から年末にかけて、この先は一体どうなるのだろう?と不安でいっぱいになり、恐怖感にさいなまれ、夜も眠れず、昼間でも目を閉じたら悪夢のような妄想に苦しみ、希望のかけらもな
6月17日・コラボ企画
2015年05月31日 11:02
6・17(水)町屋でのコラボ企画の内容、アップしました。ブログ
5月31日荒川自然公園プチイベント
2015年05月23日 23:12
歩きながら直感する屋外のワークです。5月31日13時頃から2時間くらい。参加費1000円。詳細はお問い合わせください。
タロットの記事加筆しました
2015年05月16日 22:25
タロット、オラクルカードについて、記事を追加しました。タロット・オラクルカード
お花畑から出る?残る?
2015年05月13日 17:05
スピリチュアルワークで、願望実現ワークをすると、どんどん叶い、さらに予想以上のラッキーが・いわゆる「プチミラクル」が起こり続けるステージがあります。
それはおそらく、ワークによって、
自分がもやもやしていた願望をはっきりさせる。
その願望にたいして「ムリだから、難しいから、わたしにそんな価値がないから」という思い込みを手放す。
その結果ゆえだと思います。
願望をはっきりさせる、意図に集中する、できないという思い込みを手放す。それらを今までしてこなかったため、願いが叶うことを体感していかなったのでしょう。
すでに叶っていた、と気づくことも多いかもしれません。そのお花畑は心地よく、これを続けていれ
ニューメッセンジャー
2015年05月13日 07:05
怖れや不安、疑念を抱かずに、受け取ったメッセージをそのまま伝えられるのか?それについて友人と話をしました。
そうしようと思っているし、そうであると思いたいけれど、残念ながらすべてがそうだと言えないかもしれない。
かもしれない、という部分に向き合い、解放しながら、「受け取ったメッセージをそのまま伝えるメッセンジャー」でありたい、と今はそう感じています。
狭き門は、狭いのさ
2015年05月11日 15:00
本当はわかりずらく、狭い入り口なのに、広くてわかりやすい入り口ですよ、ということは、
親切なことなのか?
たどり着くまでには、技術や才能が必要であり、たどり着くほどの力がない人に、
「練習すれば、きっと辿りつけます」というのは親切なのか?
技術や才能はあるが、相応の持続力と忍耐力が必要なのに、
「持続力と忍耐力はいりません。ラクにたどりつけますよ」
ということは、親切なのか?
技術や才能がない、または、
持続力と忍耐力は要求されるよ、と忠告したとき、
「この人に技術や才能がない、持続力や忍耐力が必要である、
というのはあなた(忠告者)の思いこみである、
ブロックである、トラウマである、だから、
脱マニュアル
2015年05月07日 22:33
ソクラテスの言葉は、プラトンが伝え、お釈迦様の言葉は、弟子たちが伝え、キリストの言葉は、後世のキリスト教徒たちが伝えました。お釈迦様は仏教徒でなく(ヒンズー教の門を叩いた)、キリストはキリスト教徒ではない。(ユダヤ教の一派とされています)
ソクラテス哲学書も、仏典も、新約聖書も、本人が書いたのではありません。その教えを広めるには、必要だと感じた人々が書いたものです。
彼らが、彼ら自身で「教科書」「マニュアル」を著さなかったのは、哲学、心の探訪、祈りの方法に、それらを必要としなかったから、だと思います。
お釈迦様は、弟子や、弟子になりたい人に、何かを問われると、人それぞれ・その場その場で、まった
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