わたしの中に居た「少女クレメンタイン」
音楽・歌というのは不思議なものです。
愛しのクレメンタイン
という歌があります。(日本では「雪山賛歌」)
アメリカ・ゴールドラッシュの時代。
ゴールドを求めて仕事する男の、
9歳の娘・クレメンタインが
激流にのまれます。
泳げない男親が、助けられなかったことを
嘆くという歌詞。
許してくれ、クレメンタイン。
いわばレクイエムなのですね。
数年前のある朝、自分自身がクレメンタインになった夢を見ました。
心は、すでに肉体からは離れて、激流を上空から眺めているビジョン
オーラのみとなった自分は、上へ上へといきたいのに、
親の嘆く歌声が、自分を地上に縛り付けている。
オーマイダーリン オーマイダーリン
オーマイダーリン クレメンタイン
そう歌われるたびに、上へむかっているスピリットが引きずりおろされ、地上に絡み取られていく。
そんな夢でした。
目覚めて、起きて、この曲をYOUTUBEで繰り返しききながら、長い時間、涙が止まらなかったことを覚えています。
実際自分が「クレメンタイン」のような前世があったかどうか、それよりも
歌にこめられた人の普遍的な思い
こどものころに命を落とす悲しみ
こどもを失った嘆き
罪悪感・自責の念
そんなものを潜在意識が感じ取り、心のどこかが「表現したい」と望み表出しやすいように、「音楽」という、
顕在意識と潜在意識をつなぐ道具を使って表現したのではないかと感じています。
余談ですが、「クレメンタイン」のエネルギーは、しばらくわたしの身体に留まりつづけ、居るということも忘れたころ
アメリカ旅行中イエローストーン国立公園の渓流を眺めているうちに身体から離れていきました。
ハートの中から何かが出て行って、光に還っていった感覚
スピリットはどこにでもいけるもの。しかしときに、人の肉体をつかっていきたい場所・戻りたい場所にいこうとすることも
あるのかもしれません。
そんなことを思いました。
よい週末を!愛と感謝
(eikoパリカール)