狭き門は、狭いのさ
2015年05月11日 15:00
本当はわかりずらく、狭い入り口なのに、広くてわかりやすい入り口ですよ、ということは、
親切なことなのか?
たどり着くまでには、技術や才能が必要であり、たどり着くほどの力がない人に、
「練習すれば、きっと辿りつけます」というのは親切なのか?
技術や才能はあるが、相応の持続力と忍耐力が必要なのに、
「持続力と忍耐力はいりません。ラクにたどりつけますよ」
ということは、親切なのか?
技術や才能がない、または、
持続力と忍耐力は要求されるよ、と忠告したとき、
「この人に技術や才能がない、持続力や忍耐力が必要である、
というのはあなた(忠告者)の思いこみである、
ブロックである、トラウマである、だから、解放すべきである」
という反論は、親切なのか?
「難しいこと、労力がいること、忍耐のいる体験」は、よくないこと、とは限らない。
それを楽しいと思うかもしれない。
才能、技術がない、と言われても、目指してしまうことは、才能かもしれない。
その出来事や体験に遭遇しない限り、わからない。
プロメテウスやルシファーが天界から地上にもたらしたといわれる「火」。
やけどするから、危険だからと、扱おうとしないことが、
「自分を大切にする」ということなのか?
あえて「火」近づき扱おうとするとき、
「自分勝手だ、命知らずだ」と忠告することは、親切なのか?
ときどき、ふと思います。