幸福感
わたしにとって、スピリチュアルの学びと追求は、「どうしたら幸福になれるか」というテーマに向かっています。
基本的に、スピリットが肉体を持って転生してきたのは、経験・体感を超えて、幸福になるため、なはずだと信じています。すべての人に内在しているだろう、この信頼。
ですがわたしは、
地球は宇宙最悪の流刑地、ほとんど暴力・理不尽・差別で埋め尽くされた地獄空間だと思って生きてきた時代もあります。
2014年は、自分にとって激動の年。特に夏から年末にかけて、この先は一体どうなるのだろう?と不安でいっぱいになり、恐怖感にさいなまれ、夜も眠れず、昼間でも目を閉じたら悪夢のような妄想に苦しみ、希望のかけらもないと絶望したときもありました。
そんな中、あるとき、目の前に起こっている出来事と、まったく無関係に「幸福感」が湧き上がってきました。数分間のフシギな感じ。
そののち、「フシギな幸福感」タイムは、ランダムに登場します。その時間は、見ているもの、話している内容、場所を問わず、本当に、唐突に、「なんだかとても幸福だなぁ」と感じて、自然に頬の筋肉がゆるんでいくのです。
そして、わたしはようやく気付いたのです。「幸福感を感じる」ということに、条件はない、ということに。哲学やスピリチュアルの本には、書きつくされ、語りつくされてきた、「幸せになるために頑張るのではなく、すでに幸せでいましょう」というアレですね。
わたしは、困難や苦味を味わった結果、ようやく体感がはじまったのですが、
本当は、このような困難や苦味、苦悩を味わいつくすことなく、ただ幸福感の中にあることは、きっとできるのだと、今、この瞬間は感じています。
そして、それでも、スピリチュアルの学びと追求は、まだまだ続いていくのだと思います。
愛と感謝