インスピレーション・トレイル 癒しと再生の旅


ブログ

2019年05月15日 20:42

歩くこと

2019年は、今まで行こうと思っていた場所にできるだけ訪れてみようと思い、 いけるところから行き始めています。 4月にパリのノートルダム寺院が炎上してしまいましたね。 炎上している映像をみているうち、日本のマリアに会いたくなって、 山形県・鶴岡市の黒のマリアと、秋田県・秋田市の血の涙を流したマリアに 会いにいきました。 そこで、マリアは、自分自身である、と確信しました。 マリアの生まれ変わりや、マリアの代理人という意味ではありません。 マリアは、世界中で信仰されている、 大地の女神・海の女神・母なるもの・清らかさと俗が同居している存在の シンボルイメージなのです。 自分の内なるこども・新しいこ

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2018年09月22日 11:36

お散歩オリジン

猛暑の夏も終わり、台風襲来のあとは、急に涼しくなりましたね。   涼しくなると、歩きたくなります。   さわやかな風の中、歩いていると、さまざまな思いが去来します。 アイディアが湧いてきます。 運動不足によるストレスも解消します。   人間の身体というのは、二足歩行するための機能が優れています。 歩くことで、身体も本来の役割を果たしていき、 それにともなって、マインドも、本来の役割を思い出していく。   わたしはそう思っています。   お散歩オリジン(チャネリング教室)リリースします。   30分~40分程度の公園散歩と、あずまや、ベ

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2018年04月11日 20:56

新着:聖マリアの回復ヒーリング始めました

聖マリアの回復ヒーリング始めました。   自分自身にも回復ヒーリングをしていますが、 昔の友人が近くまで来たからと突然現れたり、 何年も連絡をしていなかった先輩から連絡が入ったりしています。 このブログも久しぶりに開く流れになりました。   聖マリア・エンジェルクイーンの回復ヒーリング

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2016年03月04日 20:14

心の声を聴いて

2016年あけましておめでとうございます。 もう3月になりましたが、このホームページでのブログは新年初ですね。 年末から気ぜわしかったのですが、せわしない、忙しい、時間がない、という理由を自分でつけていたような気がします。 傷つくことを怖れるあまり、心の声を開くことができない。でも、心の声をわざわざ聴くまでもなく、悲しいときは悲しいし、つらいときはつらいのです。ならば、ただその心の声に開かれていればいいと思います。そして、閉じたいときは閉じてもいい。心の声を開けない自分を責めることなく。 そうして心のままに心の声を開き、閉じたいときには閉じることができるのならば、開いたままでもだいじょうぶと気

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2015年10月27日 20:22

鞍馬山から愛をこめて

2014年の春に、諏訪の守屋山に登りました。ここで何かの直感を受けられるという直感がありました。 そこで受け取ったメッセージは、「鞍馬に行きなさい」。レイキを習ったときから興味があるものの、足を運べないまま時が流れ、ようやく鞍馬に行ってきました。 入り口から懐かしいような、かつてないような、強い波動が、自分の心のどこかを揺さぶっていることを感じました。 自分のしたいこと、これからのこと、意味があるのか・ないのか、役割なのか・そうでないのか、生活がたちゆくか・そうでないのか、好きか嫌いか、理屈は正しいのか・そうでないのか、そんなことばかり気にしてしまい、「問答無用で何かをする」ことを忘れていたこ

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2015年08月02日 21:17

つまら・ない、つまりスムーズ

前回の「思い通りにいくのはつまらない」という思考パターン。 つまらないを、退屈、面白くない、という認識ではなく、つまら・ないにすると、 思い通りどおりに行くのは、つまら・ない、スムーズにいく、という意味になります。 友人が気付いてくれた、面白い発想です。 「思い通りにいくのはつまらない」という悪夢の構造をどうやって解体しようかと模索していましたが、変える必要は何もなかったのです。つまらない→つまら・ない、にするだけで、シンプルな真実に変わります。 思い通りにいくのは、本当は宇宙の法則であり、スムーズなもの。そうではないとき、自分自身が事柄にたいして数多くの思い込み、こだわり、執着があるためでし

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2015年07月30日 09:26

思い通りの世界

エネルギーは、思考・感情にしたがう。 よって、自分の思いによって、自分の世界は構築される。 スピリチュアルな教えは、そう伝えます。 思い通りの世界になるのは、宇宙の法則。いえ、世界は自分の思い通り、なはずなのです。本当は。 潜在意識ではそれを知っています。しかし顕在意識はそれを全面否定します。思い通りにいくことなんてない、と。努力して、なんとかそうなるだけ。運がよいとき、そうなるだけ。思い通りにいくのは、人生の刹那の出来事で、思い通りにいかないことが普通。自分は長年、そう思っていました。 だから自分の思考の土台は「思い通りにいかないことが普通」でした。それに気づき、解放が始まっても、まだ思い通

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2015年07月25日 20:04

みにくいアヒルの子

「みにくいアヒルの子」は、自分の長年のテーマです。 長年のテーマ、つまり白鳥という、まったく別の本質があると気付いていてもなお、アヒルでいようとふるまってしまうのです。 アヒルでいるメリットは、いろいろあります。 まずは周囲がアヒルだから。アヒルが親だから。親アヒルは親アヒルなりに、わたしがアヒルとして生きていける方法を一生懸命教えてくれたから。 また、アヒル王国にいるなら、アヒルでいるべきである、という思い込みもあります。義務を果たしている感ですね。 さらに。本質と違うことは気付いているので「うまくできない自分」を、そのような形で許せるのです。つまり、「本質と違うことをさせられているから」と

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2015年07月18日 23:13

普通そうだよね、という病

子供の頃から、良くも悪くも「個性的」「変わっている」「普通と違う」と言われ続けたわたしにとって、「普通」というのは、憧れであり、よくわからないものでもあります。 オフィスで働くとき、組織化された場所にいるとき、自分なりに「普通は~だよね」の普通に、常識的にふるまおうと努力をします。無理なら常識的な言い訳を考えます。さらに、それでも難しいならば「変わり者なので」と先に言ってしまいます。 変わり者である、ことを先に言ってしまうのは、「常識人ではなくてすみません」という謝罪をするべきだろう、「普通は」と思ってのこと。 つまり変わり者宣言ですら、「普通そうだよね」という、わたし自身の病ゆえのことです。

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2015年07月11日 15:18

聖なる杯

キリストは、最後の晩餐を終えて、ゲッセマネの園と呼ばれるオリーブの木の山へ行きます。そこで、脂汗をしたたらせながら、神に祈ります。 「この苦しみの杯をとりさってください」 迫り来る、肉体的な苦痛と恐怖を、彼は知っていたのでしょう。 避けられないこともわかっていて、祈らざるを得なかったのでしょうね。聖書のこの箇所は、読んでいて胸が苦しくなる場面です。 「杯」は、自分が受け取り、飲み干すべき運命のシンボル。 スピリチュアルな学びは、自分の「杯」をみつけ、そこに注がれる運命を知ることだと、思っていました。 今は、「杯」は、自分の外側にあるのではなく、自分自身が自分の「杯」なのだと思います。自分それ自

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