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2015年10月27日 20:22

鞍馬山から愛をこめて

2014年の春に、諏訪の守屋山に登りました。ここで何かの直感を受けられるという直感がありました。 そこで受け取ったメッセージは、「鞍馬に行きなさい」。レイキを習ったときから興味があるものの、足を運べないまま時が流れ、ようやく鞍馬に行ってきました。 入り口から懐かしいような、かつてないような、強い波動が、自分のハートを揺さぶっていることを感じました。 自分のしたいこと、これからのこと、意味があるのか・ないのか、役割なのか・そうでないのか、生活がたちゆくか・そうでないのか、好きか嫌いか、理屈は正しいのか・そうでないのか、そんなことばかり気にしてしまい、「問答無用で何かをする」ことを忘れていたことに

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2015年08月02日 21:17

つまら・ない、つまりスムーズ

前回の「思い通りにいくのはつまらない」という思考パターン。 つまらないを、退屈、面白くない、という認識ではなく、つまら・ないにすると、 思い通りどおりに行くのは、つまら・ない、スムーズにいく、という意味になります。 友人が気付いてくれた、面白い発想です。 「思い通りにいくのはつまらない」という悪夢の構造をどうやって解体しようかと模索していましたが、変える必要は何もなかったのです。つまらない→つまら・ない、にするだけで、シンプルな真実に変わります。 思い通りにいくのは、本当は宇宙の法則であり、スムーズなもの。そうではないとき、自分自身が事柄にたいして数多くの思い込み、こだわり、執着があるためでし

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2015年07月30日 09:26

思い通りの世界

エネルギーは、思考・感情にしたがう。 よって、自分の思いによって、自分の世界は構築される。 スピリチュアルな教えは、そう伝えます。 思い通りの世界になるのは、宇宙の法則。いえ、世界は自分の思い通り、なはずなのです。本当は。 潜在意識ではそれを知っています。しかし顕在意識はそれを全面否定します。思い通りにいくことなんてない、と。努力して、なんとかそうなるだけ。運がよいとき、そうなるだけ。思い通りにいくのは、人生の刹那の出来事で、思い通りにいかないことが普通。自分は長年、そう思っていました。 だから自分の思考の土台は「思い通りにいかないことが普通」でした。それに気づき、解放が始まっても、まだ思い通

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2015年07月25日 20:04

みにくいアヒルの子

「みにくいアヒルの子」は、自分の長年のテーマです。 長年のテーマ、つまり白鳥という、まったく別の本質があると気付いていてもなお、アヒルでいようとふるまってしまうのです。 アヒルでいるメリットは、いろいろあります。 まずは周囲がアヒルだから。アヒルが親だから。親アヒルは親アヒルなりに、わたしがアヒルとして生きていける方法を一生懸命教えてくれたから。 また、アヒル王国にいるなら、アヒルでいるべきである、という思い込みもあります。義務を果たしている感ですね。 さらに。本質と違うことは気付いているので「うまくできない自分」を、そのような形で許せるのです。つまり、「本質と違うことをさせられているから」と

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2015年07月18日 23:13

普通そうだよね、という病

子供の頃から、良くも悪くも「個性的」「変わっている」「普通と違う」と言われ続けたわたしにとって、「普通」というのは、憧れであり、よくわからないものでもあります。 オフィスで働くとき、組織化された場所にいるとき、自分なりに「普通は~だよね」の普通に、常識的にふるまおうと努力をします。無理なら常識的な言い訳を考えます。さらに、それでも難しいならば「変わり者なので」と先に言ってしまいます。 変わり者である、ことを先に言ってしまうのは、「常識人ではなくてすみません」という謝罪をするべきだろう、「普通は」と思ってのこと。 つまり変わり者宣言ですら、「普通そうだよね」という、わたし自身の病ゆえのことです。

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2015年07月11日 15:18

聖なる杯

キリストは、最後の晩餐を終えて、ゲッセマネの園と呼ばれるオリーブの木の山へ行きます。そこで、脂汗をしたたらせながら、神に祈ります。 「この苦しみの杯をとりさってください」 迫り来る、肉体的な苦痛と恐怖を、彼は知っていたのでしょう。 避けられないこともわかっていて、祈らざるを得なかったのでしょうね。聖書のこの箇所は、読んでいて胸が苦しくなる場面です。 「杯」は、自分が受け取り、飲み干すべき運命のシンボル。 スピリチュアルな学びは、自分の「杯」をみつけ、そこに注がれる運命を知ることだと、思っていました。 今は、「杯」は、自分の外側にあるのではなく、自分自身が自分の「杯」なのだと思います。自分それ自

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2015年06月28日 16:02

幸福感

わたしにとって、スピリチュアルの学びと追求は、「どうしたら幸福になれるか」というテーマに向かっています。 基本的に、スピリットが肉体を持って転生してきたのは、経験・体感を超えて、幸福になるため、なはずだと信じています。すべての人に内在しているだろう、この信頼。 ですがわたしは、 地球は宇宙最悪の流刑地、ほとんど暴力・理不尽・差別で埋め尽くされた地獄空間だと思って生きてきた時代もあります。 2014年は、自分にとって激動の年。特に夏から年末にかけて、この先は一体どうなるのだろう?と不安でいっぱいになり、恐怖感にさいなまれ、夜も眠れず、昼間でも目を閉じたら悪夢のような妄想に苦しみ、希望のかけらもな

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2015年05月13日 17:05

お花畑から出る?残る?

スピリチュアルワークで、願望実現ワークをすると、どんどん叶い、プチミラクルが起こり続けるステージがあります。 自分がもやもやしていた願望をはっきりさせる。 その願望にたいして「ムリだから、難しいから、わたしにそんな価値がないから」という思い込みを手放す。 それらを今までしてこなかったため、願いが叶うことを体感していかなった、だけの話だったのでしょう。 すでに叶っていた、と気づくことも多いかもしれません。そのお花畑は心地よく、これを続けていれば、キラキラまぶしい毎日ゆかいで楽しい時間ばかり、になるような気がするかもしれません。しかし、このお花畑は、あるステージに過ぎません。 自分の考えや、感覚、

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2015年05月13日 07:05

ニューメッセンジャー

怖れや不安、疑念を抱かずに、受け取ったメッセージをそのまま伝えられるのか?それについて友人と話をしました。 そうしようと思っているし、そうであると思いたいけれど、残念ながらすべてがそうだと言えないかもしれない。 かもしれない、という部分に向き合い、解放しながら、「受け取ったメッセージをそのまま伝えるメッセンジャー」でありたい、と今はそう感じています。  

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2015年05月11日 15:00

狭き門は、狭いのさ

本当はわかりずらく、狭い入り口なのに、広くてわかりやすい入り口ですよ、ということは、 親切なことなのか? たどり着くまでには、技術や才能が必要であり、たどり着くほどの力がない人に、 「練習すれば、きっと辿りつけます」というのは親切なのか? 技術や才能はあるが、相応の持続力と忍耐力が必要なのに、 「持続力と忍耐力はいりません。ラクにたどりつけますよ」 ということは、親切なのか? 技術や才能がない、または、 持続力と忍耐力は要求されるよ、と忠告したとき、 「この人に技術や才能がない、持続力や忍耐力が必要である、 というのはあなた(忠告者)の思いこみである、 ブロックである、トラウマである、だから、

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